murawaki の雑記

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一般意志 2.0

お仕事に関わるイベント東浩紀氏の「一般意志 2.0 データ民主主義の可能性と限界 」という招待講演を聞いた。感想などを書く。話自体は streaming などで以前から聞いていた。調べたら去年3月付のメモ書き状態の草稿が残っていた。この機会を逃すと二度と陽の目を見なさそうなので、加筆してここに投げ捨てる。著書も読まないまま書くのもどうかという気もするが、ある時点での記録として。

まずは私なりのまとめ。ルソーの一般意志は「全体意志」と区別されていて、熟議による民主主義とは異なるもの。かつてはそんなものを得るすべがなかった。現代では、ビッグデータとか集合知とか、そういうバズワードで表される何かから一般意志に相当するものが得られるとし、これを「一般意志 2.0」と呼ぶ。一般意志 2.0 は代議制を置き換えるのではなく、あくまで代議制の補助とする。意思決定*1の場で一般意志 2.0 を可視化する。一般意志 2.0 に盲目的に従って意思決定を行うのではなく、「制約」として使う。

「一般意志 2.0 は世論調査の拡大版にすぎないんじゃないか」という批判を以前どこかで見かけた。確かにしょぼいと言えばしょぼい。その分現実味はある。比較対象は「SNS で民主主義やる」とか言っている人たち。私もそんなことが実現するとは微塵も思っていない (それはそうと、はやく Facebook 滅びないかな)。

世論調査と何が異なるか。議論のための具体例として Twitter やニコ動を想定しているようなので、それにそって考えてみると、いろいろ質的な違いが挙げられる。まずはリアルタイム性がある。普通の世論調査は短くても月間隔とか。次に論点の粒度が小さい。普通の世論調査が調査機関が事前に設定した調査項目に答えるだけ。ニコ生なら、代議士の議論に対するフィードバックだから、論点がその場で生まれる。最後に、醜い欲望、とは限らないにしても、少なくとも上品じゃないこと。講演中に挙げられていた議題の例は生活保護とか領土問題。今までは醜い面はあたかも存在しないかのように取り繕っていたけど、現実に存在するのだから可視化して直視しよう、と。

リアルタイム性は本当に重要なのだろうか。より一般的に、意思決定における時間の問題には以前から関心がある。講演でも質疑で取り上げられていた。「領土問題などで、一時的な世論の沸騰を意思決定に反映させるのは危険ではないか」と。回答で使われた浮気の例えが面白い。曰く、「人間なのでムラっとくることがある。その一時的な衝動に身を任せましょうということではない。そういう衝動が生じるという現実を直視するために使う。」と。この回答は理解できる。しかし一方で、Twitter やニコ動を例えに出していた当初の主張からずれていっている。可視化したいのは、リアルタイムな反応そのものよりも、そうした反応の時間的蓄積ということになる。

それで言うと、可視化の話しかしないのも不思議。データマイニング業界はどうだか知らないけど、一般には、データを集めて一番にやりたいことは未知のデータの予測。特に未来の予測。過去から現在までの反応があれば、将来の反応がどうなるか予測できるはず。

現状では、正統性の付与が、だいたい3年ぐらいの間隔の選挙だけだが、もう一つ短い間隔のチャンネルを作りたいというようなことも言っていた。選挙は間隔が長すぎるという認識らしい。私の問題意識ではむしろ短い。中長期的な利益を考えさせる仕組みが欲しい。将来世代につけを払わせるのが現在の仕組みにおいて最適解だとしたら、現在の仕組みが間違っている。現在の有権者の多数派にとって利益になっても、現在の少数派と、まだ有権者でない人間の不利益になるのなら、何らかの補正を入れたい。そのためにも未来の予測は重要。

ただし、単純な予測よりも話が複雑。意思決定に使うから。現状では、例えば、統計的な大統領選の結果予測は投票行動に影響を及ぼしていない (はず)。意思決定を行うと将来の状態が分岐する。単なる観測者じゃなくて当事者になっている。どうすればいいのだろうか。今回のイベントは「技術で社会を変える」という趣旨だったけど、私の立ち位置はそこからかなり外れている。計算機が自然言語をうまく扱えるようになればそれだけで満足で、「社会を変える」というお題目は stakeholder を納得させるための副次的な課題。計算機がいくら日本語を処理しても、それで日本語が変わることはなさそう。*2

得られるデータに関する問題。例として挙げられていたのは、嫌韓。ネット上の嫌韓は実体以上に大きく見えているはずで、サンプルの歪みは技術的に補正する必要がある。解決すべき技術的問題があれば、うちの業界の人は仕事ができて喜ぶはず。しかし問題はそれだけではない。ネット上の反応が意思決定に反映されるとなれば、意思決定を最適化するための反応を出力しようとするはず。これを技術的に補正できるのか。Amazon の review がもはや使いものにならないことを考えると、現状では悲観的。そもそも一般意志を集合知で近似する部分が怪しい。人間が言語化した時点で歪みきっていて、本当に一般意志を得ようと思ったら、脳を観察するしかないのではないか。

*1:本論と関係ないけど、「いし」に対応する表記に「意思」と「意志」があって、どっちを使うか悩む。

*2:実際にはそうとも限らない。例えば、日本語入力システムが漢字の選好に影響を与えている。他には、Google 翻訳は自分が作った翻訳がウェブ上にあふれていていて、ナイーブにウェブ上の対訳資源を翻訳知識として使おうとしたら自家中毒を起こすらしい。