murawaki の雑記

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大航海時代の海域アジアと琉球


中島楽章. 2020. 大航海時代の海域アジアと琉球: レキオスを求めて. 思文閣出版.

琉球を中心とした海域アジアに対する大航海時代のヨーロッパ人の地理認識を文献、地図から解明しようという本。今回取りあげるのは第II部「ゴーレスとレキオス」、特にその中の第6章「ゴーレス再考 (二): その語源問題をめぐって」。中島は歴史の人で、50近くになってからポルトガル語を学び始め、リスボンで文献調査を行えるまでになったとのこと。その努力には敬意を表するが、個別の論証については首を傾げざるを得ない部分が多い。

Gores は16世紀初頭のポルトガル史料に現れる集団で、一般に琉球人と理解されている。その由来はアラビア語史料に15世紀後半から現れる al-Ghūr で、史料では琉球の別名とされている。この Gores の語源が高麗であるという説をとなえる者がいる。中島の先行研究紹介によると、古くは内田 (1915-17)、秋山 (1928)、桑田 (1932)、Haguenauer (1935)、安里 (1941)、Schurhammer (1963) などが挙げられ、中島も改めてこの説を支持している。

前の記事でも述べたように、私は Caule/Cauli 系の語はモンゴル帝国時代に登場したあとは使用が絶え、大航海時代南蛮人が日本に到着したあとで日本語の高麗に由来する Corea が現れたと考えている。もし Gores 高麗語源説が正しければ、私の仮説は少々修正が必要になる。ただし、Corea が Gores に由来するという説をとなえる者はいないようである。

結論を先にいうと、Gores 高麗語源説は成り立たないと私は考えている。私が支持するのは前嶋 (1971) の説。al-Ghūr は窪んだ場所を意味する al-ghaur に由来し、中国語の落漈を訳したものだろう。落漈は東方海上にあり、水が落ちていくとされる場所。川の水が海に注ぎ込み続けても水位が上がらないことを説明するために中国人が生み出した伝説。落漈は『元史』の頃から瑠求 (=台湾) と結びついた形で登場する。al-Ghūr の初出であるイブン・マージド『海洋学精選』の「この地方から南にゆけば、あるものといえば危険とアル・グールだけ」という記述とも整合する。アラビア人は中国人の地理認識に詳しくないので、もとはアラビア語語根 (غ و ر) に基づく固有語だったことが忘れられ、借用語と再解釈されたと考えれば母音の揺れは説明できる。al-Ghūr = 瑠求 (=台湾) というモンゴル時代からの知識が先にあって、明代になって琉球と称する集団が沖縄から来た結果、al-Ghūr = 琉球 (=沖縄) となったのだろう。

一方、中島は、「アル・グールを語源とするゴール Gor と、高麗が転訛したゴール Gor ないしゴーレ Gore の発音はかなり近く、必ずしも区別されていなかったことになる。このことは十五世紀のアラビア語史料におけるアル・グール al-Ghūr も、本来は高麗に由来する呼称であった可能性を示唆するのではないか」(p.167) と主張し、元代には「泉州などに来航・居住するムスリム海商にとって、中国東方海上の高麗はかなり身近なものであった。彼らはこの高麗を、アル・グール al-Ghūr と称したのではないか。(中略) グール Ghūr は、閩南音の高麗 kou-le の対音であろう。」(p.171) と推測する。中島は様々な断片的な記述をもとに想像を膨らませている。高麗に由来する語が登場する出来事は高麗が存在した時代に起きていなければならないという思い込みから逃れるのは難しいのだろう。

まず中島の前提がおかしい。「ヨーロッパ人は明代を通じて、朝鮮をおもに高麗に由来する呼称で記録していた。ポルトガルなどで作成された世界図では、一五六〇年代から朝鮮半島付近に、高麗の漢語音に由来するコーレ core やコレア corea、日本語音に由来するコライ corai やコンライ conrai などの地名が記されるようになる。」(p.165) といい、core が漢語音に由来すると主張する。漢語音に由来するなら L 音をともなうはず。R 系の語形は漢語に由来しない。

なお、中島はこの記述に注 (20) を付して海野 (2003) を引用しているが、これはやや杜撰だ。海野 (2003) には「Gore が「高麗」のシナ音 Kao-li のなまったものであることは ...」という怪しい記述があるが、core, corea が漢語音に由来するとは述べていない。

中島は的場 (2007) の Gores の語源はモルッカ諸島で刀剣を意味する goles であるという説を批判するなかで、「goles と Ghūr とは、確実な語源といえるほど近い発音ではない」(p.162) と述べている。的場説に対する批判の根拠は他にも並べているので、この論拠単体では弱いと考えているのかもしれない。しかし、同じ批判が自説にも当てはまるはずだ。

中島は、Gores と高麗を結びつける根拠の一つとして、Tomé Pires の Suma Oriental (東方諸国記) の記述を挙げている (p.165)。

華人 chijs とタルタリア人の間にある場所にゴーレス guores がいる。そしてタルタリアの背後にロシア Roxia があるということである。これらのことは華人が話しているのである。

中島は「従来の研究では指摘されていないが」(p.164) といってこの記述を紹介するが、実際には海野 (2004) もこの記述に触れている。小論なので見逃したのだろうか。

海野一隆. 2004. ゴーレスとは? 日本古書通信. 69(6), pp. 6-8.*1

それにしても、Suma Oriental の記述が1510年代に書かれたとは信じがたい。書誌学的な検討は済んでいるのだろうか。ロシアがモンゴル・満洲接触を始めるのは17世紀に入ってからだから、何らかの理由で写本に17世紀頃の記述が混入した可能性を考えたい。

私はこれまでは L/R の区別を問題としてきたが、Gores/Ghūr を検討するなら語頭音も問題となる。「高」は見母で無声破裂音 [k] を持つ。アラビア語は (ペルシャ語も) [k] (ك) を持つので、わざわざ有声摩擦音 (غ) をあてる理由がないように思う。見母を غ で写した事例が豊富にあるというなら話は別だが。「麗」の母音が落ちるのも不自然。中島にはアラビア語に関する知識がなく、前嶋 (1971) からの進展は期待できない。

前嶋 (1971) のいう通り、al-Ghūr が al-ghaur に由来するなら、Gores と高麗の関連をにおわせる記述はどう説明すべきだろうか。Suma Oriental の怪しい記述以外にも、『大アルフォンソ・デ・アルブケルケ実録』に「当時 (注: 1511年のマラッカ占領時) 彼ら (注: ゴーレス) の国は大陸にあるといわれていたが、一般の意見では彼らの国は島で ...」という記述がある。

大陸と関連付ける記述が登場するのはポルトガル史料になってからで、先行するアラビア語史料では al-Ghūr は島として扱われている。逆ではない。だとすると、Gores という語が先にあって、その後、誰かが二次的に高麗と結びつけて再解釈することがあったのではないだろうか。Ghūr のように語頭が摩擦音で、かつ子音終わりの語に対しては、高麗を連想できなかったのだろうが、語頭を破裂音に変えて、人間集団を表す -es をつけた Gores であれば、特定の話者にとっては連想可能だったのだろう。L と R の区別のない中国人でも可能かもしれない。しかし、日本語族の話者の方が、2つの理由からより自然だ。1) 自らも R 音を使う。2) 朝鮮を高麗をよび続けていた。海野 (2004) は「かつて琉球社会では、朝鮮のことを「コーレー (高麗)」と称しており ... (中略) ...トメ・ピレスの場合はともかく、ゴーレスは琉球語の「コーレー」が訛ったものと考える方が理にかなう。」(p.8) と述べている。話は逆で、「ゴーレス」という語を聞いた琉球人がそれを高麗と解釈したのだろう。*2琉球が言語文化的に中世日本の影響下にあったことの傍証ともなる。

*1:海野 (2004) も「これによって、ゴーレスが「高麗」のシナ音 kao-li の訛ったものであったらしいことが知られる」(p.7) と述べており、この点で海野 (2003) から変更はない。

*2:海野は現代沖縄方言の「コーレー」が当時からその語形だったと思っていたようだが、沖縄で /ai/ が融合して /ee/ になったのは比較的新しい時代。例えば、語音翻訳 (1501) のハングル表記を見ると、卓子 타기대 (-台)、匙 캐 (かひ) などの例から、まだ融合していないことがわかる。