murawaki の雑記

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親子と言ったあなたは誰

締め切りが近付いてくると、現実逃避で妙なことを考えてしまう。今回はそんな話。

親子と言ったあなたは誰か。視点はどこにあるのか。「父と母」なら問題ない。ある子供から見て、父であり母である。では「親と子」はどうか。一つの解釈は、自分を視点とした親と子。自分から見て親と、自分から見て子。つまり、「子」から見た「親」は祖父または祖母ということになる。しかしこの解釈はまれと思われる。一般的な解釈では、「親」は「子」から見て親である。反対に「子」は「親」から見て子である。ということは、「親と子」という短い発話の中で視点が切り替わっているのだろうか。一体おまえは誰だということになる。

後者の解釈をする場合、話者は第三者と思われる。そして「親」は話者の親とは限らない。おそらく、「親」が「親」と呼ばれている理由は、「子」から見て親だからではなく、「親」という属性を持っているからなのだろう。それなら第三者から見ても「親」は「親」だ。もちろん「親」という属性を持っているのは子供がいるからだが、「親と子」と言ったとき、それは間接的な理由でしかない。

最初にこの話を考えだしたのは、たしか object-oriented programming を扱っていた時。継承を説明するための例題で、Parent というクラスと Child というクラスがあって、Child が Parent を継承する。たしかそんな感じだった。そして、「おまえは誰だ」というツッコミを入れたのだった。クラス名にするなら、親や子というのは属性ではなく関係。視点を固定して、Self が Parent を継承し、Self は Child に継承されるべき。正直この例題もどうかと思うが。

自然言語の意味を扱おうと思ったら、この手の罠は無数にある。だから、この手の曖昧性を放置したまま、計算機に自然言語を厳密な論理へ変換させようなどと考えない方が幸せでいられる。

2010/01/11 追記: 「親子」と少し似ているけど違うのが「彼女」。意味が2種類。1つが3人称。もう一つが恋人。両者の区別がややこしい場合がある。例えば、「学生が何々する」と言ったあと、「彼女も同意している」と続けたとする。このとき、「彼女」は「学生」を指すのか、その恋人を指すのか。デフォルトでは多分後者。二つの文の間に「本人の意思だ」という文を入れればより明確になる。では、これを計算機に認識させるには、どういう知識を与えればいいのだろうか。